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2.ニセ嫁修行、始めました。 その1

Author: さぶれ
last update Last Updated: 2025-05-23 06:11:51

 「立ち姿がなっておりません!」

――びしっ。

「歩く姿はもっとエレガントに!」

――びしっ。

「仮にも一矢様の“妻”になられるお方が、そのようでは困ります!」

――びしぃっっ。

 ここは三成家、分家の屋敷の一室。

 契約結婚とはいえ「結婚する」と一矢が本家に堂々宣言してしまったため、約一ヶ月後に盛大な婚約披露パーティーが開かれることが決まってしまった。

 その結果、私は“ニセ嫁修行”と称して、中松からスパルタ指導を受けることになったわけで――

 現在、礼儀作法・立ち居振る舞い・笑顔の作り方まで、びしばしと鍛えられている最中である。

 ちなみに“びしっ”という音は、中松のムチ……ではなく、私の心が打ちのめされている音。精神にじわじわ効いてくるタイプの攻撃。

 中松は一矢のお付きでありながら、立ち居振る舞いも完璧で、黒髪短髪・鋭い目元のクールなイケメン。スーツ姿で黙っていれば、執事カフェの看板を張れそうなほど絵になる。

 年齢は私たちより八歳上。私と一矢がまだ小学生だった頃、三成本家の門前で倒れていた中松を見かねて、私が「助けてあげよう」と言ったのが縁の始まりだ。

 中松の過去については多くを語らないけれど、「シマを追われ、抗争に巻き込まれた」という謎のフレーズだけが記憶に残っている。たぶん……鬼ヶ島の“シマ”なんじゃないかな。冗談抜きで、彼は鬼ヶ島出身なのではと思えてくるほど、怖い。

「よろしいですか、伊織様。貴女が恥をかくのは一向に構いません。しかし、一矢様に恥をかかせるようなことがあれば……私は決して赦しませんよ」

――いやぁぁぁっ。

 やっぱり怖いっ! 中松、鬼認定!

「さあ、もう一度。線からはみ出さずに、姿勢を正して歩いてください」

「……まだやるの?」

「顔です! 表情がだらしない! もっと凛とした、品のある表情はできませんか!」

 失礼な言い方ね!!

「睨むと少しだけ締まった表情になりますね。今の顔はさっきよりマシです。さ、もう一度」

 中松は笑顔――のような表情を浮かべたけれど、目がちっとも笑ってない。極寒のブリザードスマイルだった。

「ねえ、中松」私はお腹に力を入れて、床に貼られたテープの上を歩きながら聞いてみた。「あなた、私のこと嫌いでしょ?」

「伊織様が、もう少し品位あるご婦人であれば良かったのですが」

 好きとも嫌いとも言わず、さらりと致命的な一言。悔しいけど……反論できない。

 たとえ“ニセ嫁”であっても、一矢に恥をかかせるわけにはいかない。

 付け焼き刃でも今はしっかり修行するしかない。

――あれから約三十分。

 少しはマシになった気がするけど、どうかな。

 時計を見ると、午前10時45分。そろそろグリーンバンブーのランチ営業時間が始まる。

「中松、ごめんね。もう時間だからグリーンバンブーに戻るね。ランチの準備しないと」

「なるほど、ご出勤でございますね。もうそんな時間でしたか」

「お疲れさまでした」

 私は姿勢に気をつけて中松に柔らかく微笑んだ。ちょっとは優雅に見えてるといいな。おほほ。

「今の笑顔は……まあ、まずまずですね。合格点とは申し上げかねますが」

 厳しい評価は相変わらず。

「ですが、努力されている点は認めましょう。これからも一矢様のために、日々励んでください。くれぐれも粗相のないように。この中松が――」

「はいはい、もう分かったから! 時間がないの!」

 説教の兆しを感じて、すかさず制止した。中松の説教って……とにかく長いのよ。

「お待ちください。お送りします」

 結局、中松は私と一緒に部屋を出てきた。ここは分家とはいえ、三成家が建てた豪奢な屋敷。部屋数も多く、ゲストルームまで完備されている。

 この家は一矢が高校の頃に与えられた“分家”で、形式上は独立しているけれど、背景には複雑な事情がある。

 一矢は、三成家の長男。しかし再婚相手の子という理由で、腹違いの姉たちからは疎まれ、実の母親も既に亡くなっていた。

 本来なら後継者として迎えられるべき立場にいながら、家の中では居場所がなかった。

 だから、一矢はこの分家に移り住み、本家にはほとんど寄り付かなくなったのだ。

 そんな家庭環境だったからだろう。

 小さい頃の一矢は、よく私の家に来てご飯を食べていた。

 余り物の洋食を「仕方ないから食べてやる」とか言いながら、本当はすごく嬉しそうにしていた。

 エビフライの数で揉めたり、しょうもないおかず争奪戦で喧嘩したり。あの頃、一緒に過ごした日々が今でも忘れられない。

 ……あの頃からずっと、彼のお嫁さんになるのが夢だった。

 だけど――まさか“偽装”という形で叶うなんて、誰が想像しただろう。

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